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東京地方裁判所 昭和42年(合わ)146号 判決 1967年7月27日

被告人 井上正彦

主文

被告人は無罪。

理由

一、公訴事実

本件公訴事実の趣旨は、「被告人は、三豊運輸株式会社のタンカー船第五、三豊丸の船員をしていたものであるが、昭和四一年三月二日午前一一時一五分ごろ、東京都品川区天王洲町地先品川埠頭埋立地東南端から北東約五〇〇メートル付近を航行中の右タンカー船内で、同僚の船員池上好次(当時二四才)から殴打されて傷害を負わされたうえ、同船尾甲板上に呼び出されて足蹴りされたことに憤激し、同人を殴打しようとしてその顔面付近を目がけて右手拳を振りおろし、これを避けようとした同人をして同船尾上から海中に墜落させ、よつてそのころ、同所付近で、同人を溺死するに至らせたものである」というのである。

二、当裁判所の判断

証人高田正光、同増田忠男に対する当裁判所の各尋問調書、高田正光、増田忠男の検察官に対する各供述調書、司法警察員作成の昭和四一年三月二日付、同月三日付、同月五日付各実況見分調書(ただし指示説明部分はいずれも供述証拠としては証拠としない)、当裁判所の検証調書、岡田修作成の死体検案調書、医師石山{日立}夫ほか一名作成の鑑定書、司法警察員作成の傷害致死事件捜査報告書、被告人の当公判廷での供述および被告人の検察官に対する各供述調書を総合すれば、次のような事実が認められる。

被告人は、昭和四一年二月一日から三豊運輸株式会社のタンカー船第五、三豊丸の船員(機関士)として、千葉県の姉ケ崎から東京都の荒川までのガソリン運搬に従事していた。同年三月二日午前一一時ごろ、東京航路入口付近にさしかかつた同船の船室で、被告人は同僚の池上好次(甲板員兼飲事係、二四才)および高田正光(甲板員、一八才)と昼食をとつていたが、そのうち池上が被告人に対し「お前はよく飯をくうな」といい、被告人が「お前も負けずに食べればいいじやないか」というようなことをいつたことから口論になり、池上はいきなりそばにあつたやかんで被告人の顔面部を殴打してきた。被告人は、池上の暴行を防ごうとして、同人の腕や肩の辺りを押えて掴み合いとなつたが、数日前に勤務中左膝を怪我したばかりで、包帯をし、びつこを引いているような状態であつたし、一月前に妻が長男を出産して、一児の父になつていることを思い、池上に「自分はけんかする気はないから謝まる」といい、高田にも止めに入つてもらつて、池上から離れた。そして、被告人が鼻血をふこうとして自分の寝台の手前にかがんだところを、池上はいきなりその背後から背中を足蹴りにしたり、食卓で殴打したりしたため、被告人は、前のめりになつて寝台の角で左目の上部を切り、かなりの出血をみ、目がよく見えない状態になつた。そこで被告人は、すでに甲板に上つていた高田を大声で呼び、目が見えなくなつたから船長を呼んで来てくれと頼んだ。その間に池上は船室から船尾甲板に出ていたが、やがて高田からの知らせを聞いて船長増田忠男がブリツジから船尾甲板に来たので、被告人は、船長に事情を説明しようとして、同甲板の船室出入口付近のところに上つた。

それは同日午前一一時一五分ごろのことで、そのころ同船はすでに東京都品川区天王洲町地先品川埠頭埋立地東南端から北東約五〇〇メートルの東京航路一二号ブイ付近にさしかかつていた。被告人は、右甲板上で船長から渡された布切れを左手に持つて、左目の上の出血を押さえながら、同人に対し池上との前記いきさつを説明し、船長から早く機関室に戻るように命ぜられた直後ころ、池上からいきなり負傷している左膝辺りを足蹴りにされた。そこで被告人は、このような池上の攻撃がさらに続けられることをおそれて、その攻撃から自分の身体を守ろうと思い、とつさに右手をあげて、これを池上の身体があると思われたところに向つて振りおろしたところ、池上は、それを避けようとして後ろに飛びすぎる拍子に、誤つて船尾甲板から海上に墜落し、泳ぎを知らないため、後続の他船からロープを投げてくれたのも間に合わず、そのころ溺死してしまつたのである。

以上のように、被告人としては、池上の身体にあてるつもりで、右手を振りおろしたのであるが、それは同人の攻撃から身を守るため、とつさに反射的にしたことであり、池上を海に落とそうというような気持が全く働いていないことはもちろん、同人があるいは海に落ちるかも知れないというような認識も真に絶無であつたと認められる。しかし、被告人の右手は、池上のこれを避けようとした行動からもうかがわれるように、同人の身体にきわめて近接して動いたものと認められるから、同人の身体にあたつてこそいないけれども、被告人の行為はやはり暴行にあたるものといわなければならない。

そして、船尾甲板がきわめてせまい空間であり、池上が海を背にした方向で立つていたと認められることを考慮に入れても、被告人の右のような行為によつて、池上が誤つて海に落ち、溺死してしまうということは、けつしてありふれた必然の経過ではなく、相当に偶然の要素の強いものであつたとみなければならないけれども(海に落ちないように飛びすぎることはいくらでもできたはずであるし、海に落ちたとしても、泳ぎを知つている普通の船員なら、助かる蓋然性がきわめて大きかつたと思われる)、それにしても、諸情況に照らすと、池上の前記のような経過による溺死が、被告人の右行為の作用の系列のうえで考えることがきわめて不自然であるような、著しく異常な結果であつたとまではいいきれないから、被告人の右の暴行と池上の死亡との間の因果関係はどうにか肯定でき、従つて、被告人の行為は傷害致死の構成要件にあたるものといえるわけである。

さて、海上自衛隊横須賀地方総監部人事部長作成の回答書によると、池上は、同自衛隊在隊中の昭和三九年に、千葉県のある村における被害者某女方の炊事場で、自分の自転車のタイヤが何者かに切り裂かれたことで立腹し、被害者と口論激昂のうえ、同人の顔面を一回殴りつけ、さらに表へ連れだし顔面を数回にわたり殴打し、全治五日間を要する顔面打撲傷(口唇裂傷)を負わせたという事件によつて処分されており、在籍中の人物性行評としては、知能程度低く、注意力に乏しく、従順でなく、遵法精神に欠け、よく嘘をいい、怠惰であると記載されている。このような事項からもうかがうことのできる池上の粗暴な性格を考慮のうちに入れると、同人が、船長がその場にきているのに、そして、タンカーが船の込みあう東京航路を進行している非常に大切な時であるのに、早くからけんかの意思のないことを表明して今は目のあたりの血を押さえている被告人に対し、とめどなく執拗に暴行を加えたことがうなずけると同時に、池上は一回蹴ればそれで終るつもりではなく、被告人に対し、さらに引き続いて足蹴り殴打などの暴行を加えようとして実際その体勢にあつたものであることが認められるのである。

そうすると、被告人の身体に対するもとより違法な侵害が、現にさし迫つていたものといわなければならない。そして、被告人は、これ以上乱暴をされてはたまらないと思い、とつさの反射的な防禦方法として、右手を振りおろしたのである。もとより、被告人としては、じつと争わない態度を取つている自分に対して、だしぬけに、しかも負傷して痛い場所を、しつこく蹴られたことについて、痛憤を感じたであろう。しかし、憤激の念を生じたからといつて直ちに防衛のための行為でなくなるわけではない。全体として防衛を主要な意識内容とするものであつたと認められれば足りるのであり、被告人の行為は、その程度、態様からいつても、明らかにそうであつたと認めることができる。また、目のあたりを押さえて四囲の情況を見定めることが困難な状態で、とつさに池上に対し右手を振りおろした被告人の行為は、狭い船尾甲板上であることその他一切の事情を考慮しても、せいぜい、侵害を甘受しないことを相手に表明する程度の行為に過ぎないといえるのであつて、池上による急迫した違法な暴行から自分の身体を防衛するためのやむをえない反撃行為であつたと認めるのが相当である。以上の理由で、被告人の行為は正当防衛にあたるものというべきである。

要するに、被告人の本件行為は、傷害致死の構成要件にあたるものとはいえるけれども、正当防衛行為として違法性が阻却され、犯罪が成立しないことになる(なお、仮定的に、池上が被告人に対し何等かの理由でさらに暴行を続けるつもりでなかつたものであるとしても、被告人としては引き続いて暴行が加えられようとしているものと思つたのであり、諸情況に照らし、そのように思うことはまことに相当であるといわなければならないから、本件行為については、誤想防衛として被告人に責任はなく、犯罪が成立しないことはおなじである)。

以上のとおり、本件については、結局犯罪の証明がないことに帰するから、刑訴三三六条により無罪の言渡をする。

(裁判官 戸田弘 羽石大 堀籠幸男)

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